原田マハ『たゆたえども沈まず』読了

ゴッホにまつわるアート小説であり、史実を元にしたフィクションです。ゴッホが存命中に評価されなかったのは辛いところですが、作品の背景や当時のパリの様子の想像が広がりました。

 

先月のゴッホ展で観た《花魁(渓斎英泉による)》は、浮世絵を模写して手を加えたもの。ゴッホが日本人を描いたものを初めて観たので、印象が強く残った作品でした。その元絵である渓斎英泉の《雲龍打掛の花魁》が、『パリ・イルュストレ』誌1886年5月号(日本特集号)の表紙になった後、人気沸騰して売切れ続出だったというエピソードが出てきます。史実ならば、ジャポニズムブームの加熱ぶりをうかがえて面白い。

私の好きな《寝室》は、一緒に暮らして活動するゴーギャンを、アルルで待っている時に描かれたもの。ウキウキした雰囲気が伝わってくるのは、ゴーギャンが単なる友人というだけでなく、孤独感から開放してくれて切磋琢磨する同志、だからこそだったのですね。

 

印象派でさえも「毛羽立った筆致や構図すらない作風なんてとんでもない」との否定的な評価が薄れ、ようやく受け入られ始めた時代。その次の世代であるゴッホは、更に時代に早過ぎて、世間が理解できないから評価されない。

1890年7月に37歳で亡くなったゴッホ。1891年1月に33歳で亡くなった弟のテオ。表現する苦しみ、なかなか評価されない苦しみ。一心同体の様な兄弟が、陽の目を見る前に亡くなったのが、ほんとに残念です。その作品を今、鑑賞できる幸せを実感する読後感。

 

また、ヨーロッパのジャポニズムブームの裏で、日本人がパリで頑張っていた事を初めて知りました。文化好きで異文化に魅了されたヨーロッパの人が、日本で買い付けたものをヨーロッパに持ち込んでいたのだと思い込んでいました。

 

本の内容をベースに、その日本人についてちょっと調べました。

その日本人は、林忠正(1853年12月生まれ)。流暢なフランス語を話し、パリ行きのチャンスを優先して、26歳で今の東京大学を卒業半年前に中退した、度胸ある人です。日本の工芸品や浮世絵の価値を、ヨーロッパに伝え、販売し、利益を得た人。1900(明治33)年のパリ万博では、民間人として初めて事務官長を務めています。

しかしながら「浮世絵を世界に流出させた国賊」「自国民の利益をまもらない売国奴」など罵られたそうです。浮世絵の世界的な評価や、富と地位を得た事に対する、嫉妬や羨望からのものらしい。浮世絵の文化的価値に気付かなかった日本では、焚付けや食器の包装紙に使われていた訳ですし、チャンスは他の人にもあったハズなんですがねぇ。

そして残念なのが、林忠正の帰国後、多くの収集品が散逸してしまったこと。早逝した為、美術館が完成ならず、事業の後継者もなく。タラレバはないですが、美術館ができていれば、クールジャパンの先駆けで、何かしらの影響を発していたであろうし、それを見たかったです。つくづく残念。

 

ゴッホ印象派の絵画を観る次の機会はいつかな。この物語を知った後の鑑賞が、楽しみです。